田中角栄の「日本列島改造論」で活気づき、ほんとうに飛ぶように売れていく。と思ったら今度はオイルショックでトイレットペーパーを買い占められる。まるでジェットコースターのような経済状況の中で、日本中が頑張っていました。今も昔も、毎年のように変化する努力を続けなければ、生き残れない。やっと今年で53才になりました。
今も昔も家には材木が使われています。ところが製材所も材木屋さんも次々と廃業していきます。理由はプレカット加工と外国からの輸入木材。家の構造材はプレカット工場が生産し、工業製品となりました。国産材よりも安価な外国産。効率性と経済性であっという間に広がりました。こうして材木は、工場で生産される建材品の一部となりました。
材木が建材品となる、つまり部品です。部品は太さも厚み一定です。そこで外国産の真っ直ぐに育った、ツガ・松を一定の寸法に加工してコンクリートマンションの内装に使う部品として売ることにしました。間仕切り壁や床の下地材料として大量に売ることができました。
しばらくは、木材が使われたマンションも大きく変わることになりました。金属材料の間柱が使われるようになったのです。外国産の材木を加工して真っ直ぐな部品にするのですが、どうしても節の部分で曲がりやすいのです。間仕切り壁の中で曲がると、廊下は歪んだ壁に見えてしまいます。そこで、曲がらない金属間柱が使われるようになりました。
材木が売れないのなら、建材品を売るしかありません。木造なら経験もあるのですが、釘もビスも使えないコンクリート構造。どうやってコンクリートに木を作りつけるのだろう。特殊な工法です。指示された材料と数量を納品するだけなら、誰でもできる。それよりも独特な工法を覚えて、やり方、数量の拾い出し、までできる建材屋さんはどこにもいません。職人に教えるだけの知識を身につけたい。そこで納品する度に、職人さんの仕事を見て、時には手伝い教えてもらいました。
建材だけでなく、どうしたら建具(ドア・引き戸)を売れるのだろう?部屋ごとに間取りが違うから、ドアの数もサイズも開き方向も変わります。発注をするためには、現場監督と打ち合わせをするだけの知識が必要で、その知識とは、職人の仕事のやり方と商品知識の両方です。職人さんの仕事を覚え、現場監督とは納品日程をこまめに打ち合わせし当たり前のことをキチンと打合せして仕事をするようにしました。
建具メーカーから、突然、話が舞い込んできました。「販売が決定したので、ついては納品業務をお願いしたい」営業マンの話では、現場監督から紹介されて伺ったとのことでした。納品だけなら誰でもできる。値段も突き詰めれば変わりはありません。でも現場監督からの信用は、現場での努力しか培うしかありません。
材木屋から建材屋に方向転換したものの、だれでも仕入できる商品ですから私から買ってもらう努力をしなければ考えました。そこで、自分の扱う商品はどんなことでも職人さんに説明できるようにしました。メーカーの営業マンよりも、現場での使用説明が詳しくなりました。自分の扱う商品をすべて説明できることを目標にしています。
お客さんとの打ち合わせの中で、「確認して、後日連絡します」ということは言いたくありません。全ての工事についてその場で説明できる知識と経験を目指して毎日仕事をしています。使う材料も、すべて自分が厳選したものの中から決めたいので、すべて支給します。結果、私は毎日現場に材料を搬入しに行きます。
厳選した材料・商品を使うわけですから、取り付け方法・場所・高さ・順番など細かな指示を職人さんに伝えます。ところが、大工・内装・タイル・・とあらゆる工事の材料を支給するので、すべての職人と打ち合わせがあるし職人も質問してきます。結果として現場に常駐することになります。
マイナス60°の冷凍庫 加工場 工場建家 の営繕工事をしています。最初は外壁工事と板金。大工・内装・タイルとどんどん増えていきました。営繕工事は色々な種類の小さな補修がいくつもあります。補修工事は施工知識と経験・材料知識がないとできません。あっちもこっちも 小さな工事を休日に同時に修理をすることになります。ありとあらゆる工事を対応していることで、お役に立っています。
なぜ、長い職人さんばかりなのか?それは私に仕事を教えてくれた先生だからです。材料を支給する以上、工事のやり方がわからないと種類も数量を拾えません。イメージしてみてください。ジャンボエンチョーのボンド売り場、どれがいいか悩むでしょう、私たちが使うボンドはあの倍はあります。経験がないと選べません。