「いよいよ我が家もマイホーム!」
そのタイミングは、どの家庭も同じことでしょう。
我が家は、長男が中学生に上がる時が、そのタイミングでした。
わが家のいたずら3人兄弟妹、どうしようもない子たちでした。
ママの実家では、インラインスケートで廊下を走り回り、
和室でカクレンボして遊べば、障子に登って桟を折り、
リビングでは、床に釘を打ち付けて遊んだり、
とにかく、やりたい放題の手の付けられない子ども達でした。
それでも来春には、長男も中学生。
次男も長女も少しは落ち着いてきました。
そこでいよいよ、夢のマイホームを本格的に検討することになりました。
最初は新築しか考えていなかったので、建売か、分譲マンションです。
どちらも、すでに建物は立っているので、当然、立地も決まっています。
チラシを集めて、イメージ写真で気になる物件を探し、立地と間取りで選べば、
あとは予算次第で、買える物件は決るので、とても簡単です。
ところが、いろいろ考えていくと、そんな簡単な話ではありませんでした。
本気で検討すると、気づかなかったことが見えてくるものです。
マンションも建売も、どちらも「う~ん・・・」という感じになったのです。
1-1 新築マンションはどうだろう
新婚当時に住んでいたの鉄筋コンクリート造マンションは、築30年ぐらいの2LDK、
3階建ての3階に、結婚してから4年ぐらい住んでいました。
その後、ママの実家の近くにあった、築30年ほどの借家に引っ越しました。
そこは、木造2階建て、1階はLDK。2階は6畳の和室と6畳の板の間。
一戸建てとはいえ、ボロ家。利点は車が2台止められたぐらいでした。
この2つの建物、こんなにも違うのか、というほど差がありました。
何がそんなに違ったのか、お伝えしますね。
コンクリートのマンション
・ファンヒーターを点ければ、すぐに部屋が温まる
・窓を閉めれば、救急車の音も聞こえない
・玄関の近くで、お隣さんと顔を合わせるのは、なんとなく嫌だね
・駐車場は、家庭用と仕事用で2台借りていました。
木造の借家
・木造は、冬、とにかく寒い。ほとんど犬小屋みたいなものでした。
・木造は、玄関前の外で、立ち話している人の声が聞こえてくる。
・借家はボロくても一戸建て、お隣さんの視線のストレスは少ない
・駐車スペースは、縦列だけど2台分ありました。
特に私たち夫婦がその違いに驚いたのが、冬の寒さでした。
私をのぞいて、みんな大の寒がり。
木造の借家では、冬は寒さに震え、ダウンコートを家の中で着ている状態でした。
家の中も、外も温度がほとんど変わらないぐらい、深々と冷えました。
板の間では、モコモコスリッパを履き、家族5人で寄り添って寝ていました。
特に、冷たいタイル張りのお風呂から出た後は、大慌てでした。
大急ぎで子ども達を着替えさせ、ドライヤーで乾かし、ジャンパーを着せる
風邪をひかせないようにと、夫婦で協力したものでした。
古い木造はこんなにも寒いのなら、誰もがマンションを選ぶと思うことでしょう
ところが、人一倍寒がりなのに、私たちにはマンションは無理だと思いました。
1年の3か月ほどの寒さよりも、気になることがあったのです。
それは、お隣さんの人目を気にしながら、生活することに抵抗がありました。
玄関を開けたら、エレベーターに乗ったら、廊下に出たら、ゴミ出ししたら、
その度に、お隣さんと鉢合わせするのが、苦手だったんですね。
何より、声や音が上下左右のお隣さんに聞こえちゃうのも嫌だったんです。
当時、12才・10才・8才の子ども達は、喧嘩ばかりで、聞き分けもありません。
毎日、声を張り上げて叱って、なだめて大騒ぎ。
その声がご近所さんに聞こえてしまうのが、何よりも耐え難かったのです。
マンションで上下左右に気を遣いながら、静かに暮らすことは無理に決まっています。
どう考えてみても、ストレスが溜まる毎日になることが目に見えていました。
ということで、マンションは早々に却下となりました。
資金の試算しても、マンションの管理費・修繕費が気になりました。
不動産チラシでは、建売もマンションも似たような返済額だったのですが、
管理費・修繕費・駐車場代が余分に掛かるので、ちょっともったいないと感じました。
もちろん、修繕費は一戸建てでも積み立てする必要はあります。
それでも、管理費・駐車場代の負担が余分だな、と感じていました。
1-2 新築建売ならどうでしょう
不動産チラシや情報誌で、チェックをしてみると、そこそこ良いのはあったんです。
でも2つの理由で、建売はやめました。
1. 4LDKの間取りがない
今、考えると何故こだわっていたのか、不思議ですが、あの時は当たり前に思っていました。
子ども部屋×3人分+夫婦の寝室=4LDK、できれば納戸も欲しい。
ところが建売は、4人家族を想定しているようで、3LDKがほとんどでした。
2. 駐車場が小さくて、トラックが止まらない
仕事がら、トラックが営業車なので、私は毎日トラックで仕事をしています。
ところが建売では、乗用車1台とギリギリ軽自動車1台という広さの駐車場です。
ほとんどの建売が縦列駐車のレイアウトになっていました。
実は、今までの借家も縦列駐車で、トラックと乗用車を入れ替えていました。
毎朝、あわただしい出勤時に、車の入れ替えが面倒で嫌だったんですね。
車庫入れの度に、こすったり、ぶつけたりとイライラしたものでした。
しかも建売は4~5件が密集しているので、切り返しスペースも狭く、トラックじゃ・・・
ということで、建売も却下となりました。
やっぱり私達夫婦は、分譲マンションも新築建売もダメ、という結論になりました。
新築で注文住宅を建てるわけなので、なにはともあれ、土地を探さなくてはなりません。
前々から夫婦で話していた理想の家がありました。
2-1 私たちが考える、理想の家
【中庭でパンツ一丁でくつろげる、覗かれない家】が私達夫婦の理想でした。
それが、トヨタホームの「エスパシオMezzo」の様な間取りの家でした。
・外壁が隣地との外塀を兼ねていることで、覗かれない、侵入されない家。
・外壁で囲まれた吹き抜けの中庭からは、風と光がすべての部屋に降り注ぐ
・他人の目を気にせず、身も心も開放的になれる気持ち良さ
この家のどこが気に入ったのかというと、とにかく人目を一切気にすることなく
中庭で パンツ一丁でくつろぐことができる解放感 です。
間取りさえ考えれば、露天風呂も楽しめることもできます。
さっそく、夫婦で楽しく間取りを考えながら、必要な土地の大きさを割り出しました。
間口 8m 面積 50坪 という大きさで、間口の8mは譲れませんでした。
2-2 行き詰まった土地探しに、光明が・・これはご縁?
土地なんて「すぐに見つかるだろう」と楽観的に考えていましたが、
ところがなかなか見つからないのです。
あの頃、私たちが土地探しで気にしていたのは、こんな程度でした。
・小学校を転校しない範囲で、探してあげよう
・実家(ママ)に近い方がいいね
・予算があるから、安い土地を探そう
・日当たりが良い土地がいいね
こんな簡単な条件でも、いざ探してみると変わりますね。
いろいろと気になるところが出てきます。
どうしても子どもの小学校との距離を意識してしまいすね
当時の借家は、学区のはずれで、歩いて30分ほどの距離を通っていました。
長男は中学生だけど、下の弟妹は、まだ小学校に2~4年間通うことになります。
転校もさせたくないし、なるべく学校の近くにしてあげたい気持ちでした。
ところが、なかなか気に入る物件とめぐり逢いません。
・地形も方角もいい、でも道が狭くて入り組んだ、路地のような所にある土地
・その土地の雰囲気が、なんか暗くじめっとした感じがして、気が乗らない土地
・隣に古いぼろアパートが建っていて、なんか嫌な雰囲気の土地
ここだ!、という気持ちになる土地には、まったく出合いませんでした。
すっかり疲れてしまい、年内は諦めて、ゆっくり探そうと思っていると
私たちを見かねた義母からは、こんなことを言われました。
「そのうちに、縁が結ばれて見つかるから、大丈夫。土地はご縁だからね 」
こんな言葉で慰められ、気力も落ちたので、しばしの休憩となりました。
2~3か月ぐらいたった頃でしょうか、ある時、義祖母と話をしていると
何気ない会話の中から、突然こんなことを言われました。
義祖母 「入江町の家を買えればいいのにねぇ、あそこは良いよ」
義 母 『あそこはいいね、場所もいいし、便がいいよね でも広いけどね、』
マ マ 『あんな広いところ、買えるの? 場所はほんといいよね』
どうもみんなが知っている物件みたいです。よくよく聞いてみると、
義祖母の一番上のお姉さんが、住んでいた家のことだと分かりました。
そしてお姉さんが亡くなり、売却の予定だということでした。
ということでさっそく、みんなで見に行ってみると、びっくり仰天の家でした。
まるでジャングルの中にポツンと立っている廃墟、という感じの家でした。
・庭はうっそうと生い茂り、いたるところに 蚊取り線香 が置いてある
・玄関は、木製の引き戸で、玄関脇にも植物が生い茂っている
・窓は昔ながらの、ガラガラと動く 鉄製サッシ
・お風呂は 今までの借家同じ、タイル張りの暗くて、小さな浴槽
・なんと 昭和38年 に建てられた建物でした。
実際は124坪もあるということなのですが、ぜんぜん広く感じません。
手入れはされていないし、ジャングルみたいで、ただボロくて汚い家でした。
当然、家族全員、「こんな家じゃ買ってもしようがないね」と思っていました。
ところが、私だけはなぜか 気になって仕方ありません でした。
というのも、まさに私が探していた土地とピッタリと同じなのです。
・駐車場は、車が並列で4台も止められる広さです。
・広い庭があるのですが、隣近所の視線と目が合わない立地状態になっている。
・ママの実家と同じ学区にあり、車で5分、歩いて20分の距離である。
・静鉄の駅から歩いて5分。東名清水IC・JR清水駅まで車で5分。
・市役所・図書館・市立病院と、近隣にすべてがそろった立地でした。
2-3 土地はとても魅力的なのですが、大きな問題がありました。
この土地の購入には、大きな問題がありました。
それは、124坪もある広い土地でした。
この土地を買ったら、家を建替える予算は無くなってしまう のです。
つまり廃墟のような、この家に住むことになってしまうのです。
私が「あの家を買おうと思う」と家族に話し始めた途端、
それは、それは、子ども達から大反対をうけました。
「なんでこんなボロい家を買うんだよ!」
「いままでの家(借家)よりも、ボロイじゃないか!」
「また、2階にトイレがないじゃないか!」
子ども達もわかっているのです、この家での生活がどうなるか、想像できるのです。
だって今までの借家とそっくり同じくらいのボロさだったのですから。
木造か、コンクリートブロック造の違いはあるけれど、ボロさは体感しています。
・冬、部屋の中でもダウンを着ないとならないぐらい寒い家。
・ドライヤーを使えば、ブレーカーが落ちる。
・サッシの隙間から、アリが侵入してくる。
・玄関のひさしや雨戸には、いつでもハチが飛び回り、巣ができる。
・冷たいタイル張りのお風呂に、バスマットを敷いた洗い場
・家族が川の字に寄り添わないと、寒くて眠れなかった家
この借家より、さらにぼろい家を買うなんて、家族にはありえませんでした。
ましてや、リフォームできる予算も限られているわけですから、
あのぼろい借家と同じ暮らしになるなんて、絶対に嫌だったと思います。
それでも最終的には、この土地を買いました。
その理由は、子ども達の代に引き継げる価値のある土地だと判断したからです。
新築の家でも建てた瞬間から資産価値は目減りしていきます。
土地は立地条件が良ければ、資産価値が大きく下がることはありません。
10年もすれば、夫婦2人だけの生活になります。
物の少ない、簡素な生活をしたいので、古いものを手直しすれば十分です。
古いものに手を加えて、愛着と趣のある家に住みたいと思いました。
ですから、我が家のリノベーションは元の家の趣がそのまま残っています。
TVのように、跡形もなく作り替えるようなことはしていません。
古いものを大切にして、生かして、自然と愛着が湧いていくるリノベーションです。
今では家族全員、この土地を買って正解だったと実感しています。
ところで、土地探しの時に気にしていた小学校は、どうしたのでしょう。
新しい土地は、今までの小学校の隣の学区になります。
隣の学区とはいえ、転校を考えなくてなりません。
リフォームが終わり住み始めたのが、12月でした。
当時、5年生だった次男は、今まで通りの学区に通いました。
ただ、歩いては通えない距離なので、毎日、車で送迎しました。
友だちと遊ぶ時には、自転車で行ってもらいました。
当時、3年生だった娘は、転校することになりました。
転校は4年生の新学期にして、それまでは次男と一緒に送迎です。
「ちびまるこちゃんの学校に通えるよ!」と口説いたら、すっかり喜んで
娘の転校は、なんの問題もなく、スムーズに進みました。
次男の送迎は大変でしたが、隣の学区に引っ越すという近距離だったことで
娘は、今までの小学校の友だちとも遊ぶことができましたし
ママも、ママ友と縁が切れることなく、お付き合いが続いたのは良かったです。
ただ、振り返ってみると、子どもの学校は大した問題ではありませんでした。
あれからたった6年で、大学・高校・中学とあっという間に成長しました。
進学すれば、子どもの友達も親の付き合いもすっかり入れ替わります。
働く母親も増えていき、ママ友との付き合う時間も徐々に減っていきました。
住宅ローンの最初の10年間が、一番家族の変化が大きい時です。
でも家族は、この先もこの家で30年~40年と住み続けることになります。
こう考えると、子どもの転校に縛られないで物件探しをすることが大切です。
小学校での転校は、私たちも心配しましたが、小学校で良かったと思いました。
子ども達が素直な時期で、担任の先生も気に掛けて下さり、よく連絡を頂けました。
安心して通わせられたのは、目が行き届く小学校だったからだと思いました。
子どもの転校と住宅は、別々に考えられるのが理想です。
ところで、なぜ義祖母がこの家をすすめたのでしょうか。
この土地の立地は、本当に誰に聞いても、いいね!と言われるほどに
とても住みやすくて、便利で魅力のある土地です。
3-1 義祖母が寄せる この土地への想い
義祖母は、浜松市湖西の出身で、6姉妹の3番目。
姉妹の長女が清水に嫁ぎ、暮らしていたのがこの家だったのです。
義祖母は、お姉さんを頼ってこの家に住み込み、洋裁学校に通いました。
お姉さんの子ども達3人の世話をして、家事手伝いをしたそうです。
終戦後、背広の仕立て職人の義祖父とお見合いし、結婚しました。
2人は小さな店を近くに借りて、テーラーを始めたそうです。
そして縁あって、土地を買い建てた家が、今のママの実家でした。
当時、住み込みしていた家は、空襲で辺り一面焼け野原となりました。
この辺りは茶畑だったのですが、清水港へ焼夷弾が流されて落ちてきたのです。
そして昭和38年に建て替えられたのが、まさにこの家でした。
まさに義祖母にとっては、18才から過ごした青春の思い出の土地なのです。
私達が初めてこの家を訪れた時には、義祖母も一緒に行きました。
そしていろいろな思い出を教えてくれました。
「庭のあの松とモミジは、太平洋戦争の空襲にも生き延びたんだよ」
「井戸が2つもあるのは、もともとここは造り酒屋があったからなんだよ」
住み込み当時、義祖母が面倒を見てきた甥っ子も久しぶりに集まりました。
和やかに談笑し、義祖母はそれは、それは楽しそうでした。
3-2 この土地を買った理由とは
昔話をしている祖母を見て、この家を買ったら喜ぶかな・・と思いました。
祖母は3姉妹、義母は2姉妹、ママは3姉妹の長女 根っからの女系家族。
私は長女をもらった訳だし、祖母のことも好きだし感謝もしています。
私が買った場合、家族の将来など、どうなるのだろうか考えてみました。
・将来、義祖母のお世話することになると、実家に近いのは便利だな
・義祖母も義母も、長女のママを何かにつけて頼りにしている
・私が買えば、義祖母はいつでも自由に庭で過ごすことができる
・庭のある家なら、みんなが集まって楽しく暮らしていける
・この土地なら、将来、子どもに残しても価値のある資産になるだろう
・最悪、売却をすることになっても売りやすい資産になるだろう
・私も長男なので、将来はこの家が両家の本家のような家になります
不思議と何だか本当にご縁に導かれて、この家に結ばれたような気がします。
こんな気持ちになったら、もう買うしかありません。
しかし家族からも、子ども達からも大反対を受けていました。
それでも、家族には悪いけど、ほぼ独断で、この家を買うことに決めました。
ところが予想しなかった事態になってしまいました。
それは、住宅ローンが組めない事態になってしまったのです。