◆ついつい長居したくなるやさしい歯科医院
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川野先生は、はじめて出合ったタイプの先生でした。
麻酔科の資格もあるため、私立病院に麻酔の仕事に行きます。
特に口腔外科の手術が、麻酔医が不足することで滞る現状に
時間を割いて、麻酔科医として焼津市立病院でも働いていました。
今回の歯科医院では、障害者への医療・訪問医療により
終末医療を担う地域の歯科医院になりたいということでした。
開業するだけでも厳しい時期に、介護分野は更に厳しくなります。
障害者への訪問医療に尽力している川野先生。病院のシンボルは すずかけの木。
古代ギリシャの医学の父 ヒポクラテス。
すずかけの木下で、弟子に説いたとされるヒポクラテスの誓い
「良心にもとづいた治療をする。
人種・性別・地位により患者を差別せず 病人の利益のために治療する。
これは名誉をかけて誓うものである。」
受付に飾られたステンドグラス。葉っぱが描かれています。
すずかけの木の葉っぱをモチーフに作成したオリジナルのステンドです。
川野先生に一番似合うシンボルマークです。
制作をお願いしたのは、ステンドグラス工房 ニャ~ゴさん
デザインのすべてをおまかせし、先生も大満足な一品となりました。
ところで医院はどんなテーマなのか?
「メンズエステのような」、う~ん、ちょっとチャラい・・・
ヒポクラテスのこだわりはどうしたの?とつっこまれそうですが
落ち着いた待合室と特別診療室をつくることで、
病院らしくしないデザインで
患者さんが、緊張しないで治療に来てもらえるようにしました。
受付カウンター
プラタナスをイメージにして、色を配色しました。
プラタナスの木は、表面がグリーンとグレーのまだら模様です。
袖壁はグリーン 腰壁タイルはグレーのタイル
待合コーナーは、天井を3段の段々をつくり下げて、落ち着いた空間にしています。
窓辺には、ペンダントライトを下げて、夜は外に光が漏れていきます。
この部屋 トイレの中の手洗いコーナーです。
トイレは障がい者の介添えを考えて、3畳あります。
壁一面の鏡で、清潔感のある広々とした部屋になっています。
もちろん、カウンターの高さは車いす対応になっています。
特別診療室 ストレッチャーでの入室も想定した部屋です
正面に見える収納カウンターは、クリナップのキッチンを改良したものです。
キッチンの下側BOXだけを購入し、カウンターを別で取り付けました。
手洗いの上には、ステンドグラスのペンダントライト
腰壁のモールは、ストレッチャーの接触カバーです。
巾木には、車いすのフットレストの接触カバーをつけました。
トイレの洗面カウンター モザイクタイル ステンドのペンダントライト
診療室の様子 天井にはトップライト 消毒室への入り口には、カウンター
消毒室は、厨房用流し 1枚板のカウンターと収納
機械室には、コンプレッサーとバキューム
機械音が響かないように、防音マットで吸音しています。
ここの現場で忘れられないのが、東北大震災です。
この現場の造成~基礎工事まで終わり、いよいよ建て方だと思ったところに
あの地震がやってきました。
翌日から、ベニヤ、断熱材にはじまり、ほとんどの商品の流通が止まりました。
これは困った。商社に問い合わせても回答が出てきません。
ベニヤと断熱材はまるで配給制のようになり、割り当てられました。
断熱材は韓国製が輸入されるようになりました。
困りに困って、川野先生に事情説明に行ったところ
「東北の状況改善が最優先なので、工事の延期は了解です」とのことでした。
とはいえ、病院の開業に向けて、先生はすでに務めていた病院も退職しています。
家族の生活もあるので、工事の延期は死活問題ともいえました。
私は商社に交渉をして、代替え材料でもいいから、どんな商品なら入手できるか
可能な限り歩み寄るので、探してほしいと頼み込みました。
その結果、何とか材料をかき集めることに成功し、無事 完成しました。
この時、どうして間に合ったのか?
それは、川野先生自身が「東北が最優先」と言われたからです。
その気持ちに感化された私は、そのまま商社、メーカーの営業マンに伝え
すると彼らも同じように感化されて、材料集めに奔走してくれたのです。
というのも、震災後すぐに、ベニヤの出荷が止まりました。
商社の担当者のもとには、電話がひっきりなしにかかります。
その内容は、どれも同じ内容でした。
「俺のところに、在庫のベニヤを全部持ってこい!」
そうです。買い占めて儲けようととする人が大勢いたのです。
ところが私たちは、どんな代替品でもいいから、集めてほしい
なんとしても、川野歯科医院を予定通りにオープンする!
ただ、ただ、このことだけだったので、意気に感じたそうです。
「今日の電話で、意気に感じたのは社長の電話だけでした」
と商社の担当者からは言われました。
川野先生の優しさが、みんなにつながった瞬間でした。